2015年9月21日

老いの受容と70%満足論


 超高齢社会の進行とともにアンチエイジング、サクセスフルエイジングといった概念が、さかんに喧伝されている。この背景には、老いを撃退し、中年期を維持し続け、ピンピンコロリの最期を迎えたいという人々の思いが見てとれる。老年期をネガティブにとらえるのではなく、ポジティブに生きようとする姿勢は評価される。しかし、年相応の能力低下は、健全な発達の証しでもあり、本来はそれに即した生活設計が求められる。

老いの受容は大切なことである。その上で、目標や希望を見いだし、自分の周りに対する感謝や社会に対する貢献の気持ちを忘れなければ、幸福感は増していく。そうした考え方が、プロダクティブエイジングである。

生き方論的に言えば、70%満足論と言える。すなわち、自分の希望は70%程度充たされれば、それでよしとする寛容さを持つことが大事である。自分の責務をきちんと果たすが、他人に対しては、さらりと受け流していく。こうしたゆとりと寛容さがあれば、ストレスをためずに済む。老年期を生きる人々であれば、これができるはずだ。

高齢ドライバー問題に当てはめてみると、65歳を超えたあたりからは、交通量の多い道路、混雑した時間帯、不馴れな道路、そして夜間や天候の良くない日の運転は基本的に止めてみてはどうだろうか? いわゆる「補償的運転行動」の励行である。こういう時こそ、まさに車を運転する価値があると反論する人がおられると思うが、不便さの受け入れこそが、老いの受容の出発点なのだ。

こうした心の準備を積み重ね、身近なところで目標や希望を見いだしながら、感謝と貢献の気持ちを忘れなければ、必ず新たな生きがいを生み出していくことができる。そして、このことに気がついた人は、やがて訪れるであろう「運転免許の自主返納」の時も自然に受け入れられるはずである。(所正文)