2016年1月4日

エイジズムと自己有能感


 筆者は、前期高齢期に入った団塊の世代である。

 ある小さな学術学会の常任理事を担っているが、昨年の理事改選後の仕事は、ほとんど無くなってきた。一応、選挙で選ばれた理事なので、無碍にその席を外す訳にも行かないというのが、執行部の苦慮しているところであろうか。

 もう一つの、やや大きな学術学会では、今年の役員の改選期に、ここ数年間一緒に仕事をしてきた仲良しの先輩や後輩の後押しもあって、10数年ぶりに役員選挙に挑戦した。第一次の社員(評議員)選挙には運良く当選したが、第二次の理事選挙には、見事に落選した。

 もう一つ、全国では最大規模の職能団体を誇る協会の地区役員選挙の理事選に挑戦した。図らずも、現役の有名大学教授の方と、ひとつの分野理事の席を競うことになってしまい、これも41の得票差で、見事に落選した。

 ところで、企業には、二つの定年があるとのことである。つまり正規の定年退職に先立つ10年前に、役職定年が訪れるとのこと。いわゆる平の社員として、かっての部下であった上司の下で働くことになるらしい。

 老人ホームや老人病院に入居・入院すると、その人が自宅にいた時よりも、早々に気力が落ちて、心身ともに衰弱が早まり、死期が早まるものらしい。自尊心を損なう機会が多いことが一因と想像される。

 老人福祉施設で働く介護職員の年間離職率は、一般企業の年間離職率の二倍近くに登るらしい。きつい・汚い・給料が安い・健康に悪いなどの4Kと称される職場は、介護の社会的位置(ポジション)や地位(ステイタス)が低く見積もられている傾向にあり、介護者に元気が出ないのだ。

 心理学の用語に、自己有能感という用語がある。まだまだ他人様や社会のために貢献できるという自尊心に裏付けられた自信のようなものと定義されている。

 そして、生きがい研究や上手に年を取る(サクセスフルエイジング)ための研究では、この自己有能感を高めのが良いとされている。

 一般社会の側に、ある年齢に至るともう一線から退くのが当然という暗黙裡の同意があり、個人の生活意欲を削ぐ結果となっていることも否めない。これをエイジズムと称している。自己有能感を低める社会のシステムが厳然と支配していると言っても過言ではない。体は元気・心が萎えるという構図である。

 駅前のコーヒーショップには、一見して定年退職後間もないと思われる人たちが、新聞や単行本を片手に、暇を囲って長時間滞在されている。彼らの知力や生活技能を発揮できる場が、地域に用意されていないのだ。

 このような社会情勢の中で、人の生きる意欲を高めるには、どのようにしたら良いのか。

社会の側に、自己有能感を高めるための役割づくり、生きがい醸成の場づくりが必要となろう。真の健康長寿を維持するための喫緊の課題である。一億総不活発社会に陥らないために。(谷口、第二分野・教育のコラム)