2016年2月20日

男性高齢者は、地域活動に積極的になれるか?

 家から出て地域の活動や催しに参加するとき、人は誰しも不安と期待を持つ。不安とは、自分が、新たな集団の中で、自尊心を低められる扱いを受けるかも知れないという懸念に由来する。期待とは、自分の自尊心を高められる扱いを受け、歓迎されるのではないか、相応の役割を与えられるのではないかという希望的観測に由来する。全く知らない初めての集団では、その正負の感情が錯綜して、何の懸念もなく地域活動に参加する勇気が持てないのだ。長年の人生経験を経た高齢世代ほど、様々な集団での辛苦を舐めているので、どちらの扱いを受けるか懸念して、すんなりと新たな集団に入っていけないのだ。社会的情動的選択理論が適応される所以である。この理論は、老年期では対人的な交流が量的に減少するが、質的に深く親密な交流を少数の他者と結ぶことで、幸福感を保つという個人の適応の視点から捉えた考え方である。快い感情を引き起こす場面や対人関係は好まれて、不快の感情を引き起こす場面や対人関係は避けられるという態度に帰着する。
 地域とは、現役時代の名刺が役立たない社会、女性が元気で活躍している社会、上司・部下の関係が成立しにくい社会、新たな思考の柔軟性が求められる社会であり、男性退職者にとっては、新たなストレスを生む世界であることは間違いありません。この世界に馴染む勇気が求められていますね。(第二分野のコラム:地域にでる勇気、谷口)

公認心理師の国家資格化の課題

 最近(2015.9)、心理士が「公認心理師」という国家資格となる法律が制定されました。ここ数年のうちに国家試験が始まるでしょうが、必ずしもその資格者の受け皿が社会に用意されているとは言えません。私が日頃から有力な心理士の職域と思っているのは、超高齢社会の地域包括ケアシステムに位置づく利用者家族を取り囲む医療施設・介護施設・行政機関・住民活動と連携できる心理士です。




< NHK総合テレビの解説番組から引用,2015 >
 

介護老人福祉施設(特別養護老人ホームなど)の利用者3人に一人の介護士配置が法律での規準ですが、心理士の配置はゼロです。利用者もさることながら、そこで働く専門スタッフや要介護度のついた利用者の家族の心のケアは、法的には放置されたままです。法律に公認心理師が位置づけば、数千人から万単位の心理士が専門職として働けることになりますね。心は、形にして見えないだけに、政策に反映されにくいですが、人口4人に一人が高齢者の時代、10年後は高齢者の5人に一人が認知症となり、そのケアが必要になります。実験心理学、神経心理学、臨床心理学、社会心理学などの研究法やカウンセリングの諸技法を高齢社会に生かしてみませんか。いよいよ心理学の出番です。
子どもの問題に限らず、高齢者世代も老いゆく故の生活課題を多く抱えていて、それをサポートしてくれる心の専門家が施設・病院・地域に根づくことが先決ですね。そのようなニーズはあるのに、政策面で後回しにされているのは、今後どのような社会にしていくべきかの価値観がそれぞれの立場で異なるからだと思います。政治家をはじめとする政策立案に関わる人たちの地域社会の在り方に対する価値観の転換を計らねば、事前の政策転換は期待できないと‥。地域や家族に起こっている個々人の生活課題が、真にひっ迫して個人の力だけでは解決の路を絶たれるまでは。ささやかな教育活動と草の根の実践だけでは、もはや追いつかないところに来ていると思うのですが
 公認心理師が、国家資格になって、免許皆伝となったとしても、社会で有為な人材として認められるかどうかは、今後のあり方にかかっています。まずは、どのような人がどのような試験問題を作るかです。福祉や医療問題にも精通している心理士でなければ、限定的な資格で終わってしまいます。超高齢社会に求められる心理士とは、どんな要件を備えた心理士でしょうか。
 
  介護・医療問題に対応できる実践力を有した心理士であること―施設・病院・地域の介護保険制度の利用者とその家族のストレスケアに対応できる知識と対処能力を備えていること。
  年金・医療・介護の社会保障制度とその運用にも一定の知識を有し、各分野の専門家につなげられる助言ができること。
  各世代のこころのケアを第一義とする資格ですから、主・副の専門分野はあっても心理学の全般的な分野の知識と活用法に通じていること-心理学の基礎分野(領域: 知覚・生涯発達・人格・社会・脳神経など)、臨床分野(領域: 心理・精神療法、人格検査、教育、社会福祉など)、コミュニティ分野(領域: 対人援助の方法論と技法、チームケアの能力など)の知識と技量を有していること。
 
 公認心理師も、その試験範囲が定められなければ、試験委員も選定できない訳ですが、上記の①と②と③に関わる学会から、試験委員を均等に選定するのが、これらの分野と領域をカバーする最善の方法かと思います。書籍から抜け出し、行動力を備えた心理士が求められていることは誰しも認める要件であると思いますね。読者の皆さんは、どのように考えますか(第二分野: 教育 谷口)

運動・スポーツの生活化を図るために


超高齢社会の現在、高齢者が増加して、介護保険の給付額が高騰して、このままでは介護保険母体が持たなくなると危惧されています。介護保険を使わなければ良い訳ですが、利用者ゼロにはできません。では利用者を少なくするには、介護予防対策しかない。その対策の中で、最大の効果が期待できるのが、日々の身体活動で、生活活動・運動・スポーツの実践です。今からは、体育学の出番です。その先導役が、小学・中学・高校の体育教師のOBの人たちだと思います。彼らは、地域で多世代の個々人の体力と性格に見合った運動指導を担える最適任の人材であると思われます。この人材の活用に向けての組織化を図るには、各自治体の教育委員会と医療・介護の関連各課と介護関連事業所が、行政の縦割りを超えて密に連携すること必須となりますね。
(第一分野:運動 谷口)

国は若年無業者対策にどこまで「本気」か

サポステ公式サイト

 厚生労働省は、通学も家事もしていない若年無業者、いわゆるニートの就労支援策として、地域若者サポートステーション、通称「サポステ」を運営している。そこではキャリアコンサルタント、臨床心理士、産業カウンセラーなどが、相談、学習、職場経験を通じて就職支援を行っている。
 そのサポステが先日掲げた標語が物議を醸している。それは、「キミはまだ本気出してないだけ。」というものである。これは、「俺はまだ本気出してないだけ」という漫画の主人公のセリフから採ったものだが、この標語がまるで就職できないのはニートが本気になっていないためで、ニートの側にだけ原因を求めているかのようなものであるため、批判を浴びている。これに対して厚生労働省は、「本気」を出すのは若者と国側の両方であり、知名度の低いサポステの存在を知ってもらうため、このようなインパクトのある標語を採用した、としている。それならば、ぜひ労働環境の改善などにも本気で取り組んでほしい。
 また、サポステでは平成26年度の新規登録者のうち、就職率は52.3%で、これをかなり高い数字のように打ち出しているが、逆に残りの半分近い人はどうなっているのかと心配になる。さらに、就職した人の離職率も公表されていない。就職できてもすぐに離職してしまっては無意味であり、そのサポートもできているのか不明である。国は、仕事をしているフリではなく、本気で若年無業者対策をしたいなら、若者のほうだけを変えようとするだけでなく、社会のほうも変えていく努力をするべきである。(鈴木聡志)

高齢者・皆免許時代における免許制度を考える


2015年の70歳代前半の免許保有率は男性87%、女性49%と高齢ドライバーは激増し続けている。そして2020年になると男性は95%に達し、皆免許状態となる。女性も67%に達する。さらに2030年には男性は、皆免許状態を維持し続け、女性も87%まで上昇する。今後の日本社会は、高齢者の皆免許時代が目前に迫っていると言える。
 日本は先進国で唯一、75歳以上の運転免許保有者に対して、免許更新の際に認知症の簡易検査を法律で義務付けており、2015年6月にはその取扱いをより厳しくする法改正も行われた。しかし、現在実施されている簡易検査はアルツハイマー型認知症のみを発見する検査であり、それ以外のタイプの認知症には適用されない限界をもつ。
 認知症全体の3分の1が網の目を潜り抜けてしまう検査は当初より疑問視されていたが、高齢ドライバーが激増し、皆免許状態に近づくと、網の目を潜り抜ける実人数も激増することになる。さらに、最近では認知症以外の病気による運転に不適格な事例が報告されている。昨年の宮崎市でのてんかん発作が原因とみられる大事故などはその一例と言える。今後は、運転に不適格な病気をもつ高齢ドライバーが続々と出現する可能性がある。
 短時間で行われる高齢者講習、あるいは免許更新時に、新たな医学適性検査を導入することが可能なのかどうか疑問がわく。精度の高い検査が実施できるとは思えない。
 こうした現状を受けての打開策であるが、免許取得基準、および免許更新基準を高めることの必要性を指摘したい。これは、一定年齢以上のドライバー(例えば、高齢者講習受講対象者)に対して基準を強化するのではなく、全ドライバーに対して強化することを意図している。走る凶器にもなる自動車を操る全ドライバーに対して、厳しい条件を課すことにより、結果的に高齢ドライバーは、運転免許自主返納を選択すると思われる。そして、その際には、メンタル面でのケアを忘れてはならない。
 わが国は車社会への移行が1970年前後であり、先進国の中では最も遅いため、他国に比べて交通社会が自動車優先主義に偏っている。歩行者、自転車、公共交通機関、自動車は、交通参加者として対等であるという考え方を交通政策の根幹に据える必要がある。交通政策の転換を進めることにより、公共交通機関の利用が進み、街づくりや社会の仕組みに変化が現れることが期待される。こうした積み重ねによって、21世紀の中盤には脱クルマ社会が徐々に実現していくと見られる。(所正文)

学生と高齢者の世代間交流


 2015年度筆者の勤務する大学の講義の一環として、地域の高齢市民(15)と、大学生1年生~4年生までの学生たち(56)とが、「人生を語る」の大テーマで、計5回のワークショップ(WS)形式の交流を行った。
 WSは高齢市民と大学生の双方から「テーマを出し合う」形で進行した。
 その1は、学生は日ごろの生き方の疑問や悩みを高齢市民に問いかけ、それに対して高齢の参加者が自らの人生経験をもとに、各質問に対する考えを述べる形で進行した。
若い世代の問いかけのテーマは、「自分たち若者は、将来年金をいくらもらえるのか」、「健康維持の秘訣とは」、「仕事と趣味の両立の仕方とは」「結婚の決め手とは」、「将来のための貯蓄額はどのくらいか」「就職を有利に進めるには」「学生のうちにやっておいた方が良いこと」「高齢者にとっての福祉とは」「今の若者をどのように見ているか」「苦手なコミュニケーションの克服法」「食事費の切り詰め方」「ストレス対処法」「地域の知り方」などであった。
 その2は、高齢世代が人生の転機となった出来事(ライフイベント)を、若者世代に語り、それに対して参加した学生から、さらにその内容について問いかける形で進行した。
 学生の感想としては、高齢者の方々と日ごろ接する機会が少ないので、将来に対する漠然とした不安を抱いていたが、個々の疑問に真剣に対応して貰ったことから、今後の生き方に前向きになれたという感想が見られた。他方、高齢者の方からは、日頃は若者世代と接する機会がなかったが、このような機会に参加できて、若い人の悩みの一端に触れて、彼らの生き方に些かでも助言ができたことは嬉しかったとの感想が聞かれた。言葉や共同作業を通じて触れ合うことは、老若世代双方にとっても、社会的有能感を高める好機となることを実感した。異世代間の交流の機会は、地域で行われることは様々な制約(場所・時間・団体・行政など)から案外と難しい。その意味で、まずは学校や大学という学びの場で、授業や講義や演習を通じて、意図的、計画的に実施されることが先決であると思われる。

 


その際の課題としては、世代間の交流を計れるような適当な授業科目をいかにして用意できるか、また高齢世代の授業参加者をどのようなに募れるか、単発ではなく継続して実施していくにはどのような配慮が必要かなどである。その際には、科目担当の教師が計画の中心となることは勿論であるが、各世代のグループをまとめる調整役が若者と市民の双方のグループに必要であり、また調整役間の緊密な打ち合わせの機会が、事前の準備として不可欠である。
 社会参加とは、当日の事業やプログラムに参加することだけでなく、そこに至るプロセス自体が社会参加であり、企画・調整・運営に関わる人たちの自己有能感を高める活動となる。(本実践活動の報告書「東海大学トコラボ実践活動報告集」も作成されているので、興味のある方は、ご照会ください) ( 第二分野コラム: 世代間交流 谷口)