2016年3月25日

学校教育における世代間交流の提案


2016.3.18 参議院予算委員会の答弁 民主党/新録風会議員・白眞勲 氏の答弁
     老若世代間交流を学校の行事として実施したらどうかという提案。   

その提案の内容は、授業の一環として地方に住む祖父母のところに、宿泊を兼ねて訪問し、会話や農作業をともに行うことで、身近に祖父母の存在や老いの現実を実感し、老若両世代の相互の理解に役立つという提案だった。その予算化の根拠もパネルで説明された。
      「親孝行制度について」と題するパネル(白 眞勲氏 提示)
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     小学校1年生~6年生の児童= 6543千人が、(地方に住む祖父母を宿泊を兼ねて訪ねる制度)
     うち5がこの制度を利用した場合
       6543千人×0.5=32715百人
     旅費(3万人)、おこづかい、玩具、外食等(2万円)
               ↓    5万円消費と仮定
     32715百人×5万円
         =1,636億円の経済効果が見込める  
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 その提案に対して、文部科学大臣・馳浩氏は、授業の一環として、これらを行事化するという提案には難色を示した。その理由は、小学生は、一年間のうち150日以上の「休み」があり、その間にこのような行事を個別に行う方が現実的という考えであったが、提案者の白氏は、授業の一環として国の行事として実施することに、世代間交流の効果を高めることに意義があり、その定着化にもつながるとの内容の意見であった。その質疑の中で、当委員会に同席中の厚労大臣・塩崎恭久氏、副総理兼財務/金融担当大臣・麻生太郎氏、首相・安倍晋三氏に対して、白氏は個人的な意見を求めた。それに対する各氏の回答は、概ね個人的には祖父母との子供時代の体験を語る中で、面倒くさかった祖父母も孫との交流は体力的にも疲れるなどと特段の好意的な感想は語られなかった。
 この提案は、地方創世、少子化対策を踏まえた上での地域活性化の一助となる注目に値する貴重な提案と思われるが、現政権の核となる主要閣僚が、上記のような認識では、白氏の真剣な提案も反故にされる可能性が高いと思われた。
 筆者らは、大学の授業に地域の高齢者を招聘して、学生と「人生課題を語る」ワークショップを今年度実施した(コラム20162月号を参照のこと)。地域の高齢者を、小学校・
中学校・高等学校に授業講師として招聘して、ともに語り合う所定のテーマを設けて相互の交流をはかる試みが、世代間交流としては、より現実的で、かつ効果があることを実感した。読者の皆さんはどのように考えますか。(第二分野・エイジング教育 谷口)

真の進歩思想を考える


1980年代の日本の交通・運輸現場を思い起こしてみたい。宅配便が急成長し、国民生活は短期間で見違えるように便利になった。一般市民の出す小さな荷物に目が向けられ、あらゆる荷物がわずか1000円前後で、全国どこでも翌日配達可能な配送システムが構築され始めたのである。70年代後半に地方から上京し、色々と不便を強いられながら、学生を経て社会人と生活していた筆者からすれば、まさに画期的な社会変革の一つとして強く印象に残っている。顧客のニーズ(必要性)のあるところに営業のシーズ(種)を求めるといった、いわゆるマーケティング思想が運輸業界に急速に導入された結果と理解される。
しかし、「光が当たれば、必ず影ができる」ということを忘れてはならない。すなわち、小さな荷物を日本国中へ翌日配達するためには、夜通し高速道路を走るドライバーがいなければ、そのシステムが成り立たないことも事実である。彼らは、高速道路上のサービスエリアでわずかな仮眠をとり、あるいは食事、給水をしながら仕事を続けているのである。長距離ドライバーの限界年齢35歳説の根拠は、こうした労働条件にある。一部の労働者の生活を犠牲にしなくては成り立たない「経済のサービス化」の偏った方向への進行に対して、筆者は当初から疑問を感じていた。あらゆる荷物を全国に翌日配達するシステムが本当に必要なのだろうか? 郵便にも速達と普通便があるため、宅配便にも普通便があっても良いのではないかというのが筆者の考え方であった(所,1992)。ちなみに、ヨーロッパ諸国では、夜間や休日のサービスはあまり行われていない。過剰なサービスを実現するために、一部の労働者の「労働の人間化」の阻害を許容しないためと考えられる。これに対して、わが国では、90年代以降の情報技術の発達により、労働者管理がより強化されていった点も見逃せない。
利便性の拡大は、新たな問題を生み出していく。携帯電話やスマートフォンの普及には、確かに優れた利便性もあるが、数々の弊害も生じている。過去には存在しなかった情報犯罪が発生しているからである。
高齢者の運転問題についても同じことが言える。80年代には、70歳以上で自動車を運転する人は極めて少数であった。しかし、2015年には、70歳代前半・男性の87%、女性の49%が運転免許を保有している。それ故に、30年前にはあまり意識しなかった問題に対して、我々は本腰を入れて取り組まなければならないのである。(所正文)
文献:所正文(1992)日本企業の人的資源 白桃書房

一通のブログが国をも動かす事態に



 20152月のとある日、一通のブログがインターネット上で話題になった。それは、はてな匿名ダイアリーというサービスに投稿された「保育園落ちた日本死ね!!!」という、少々過激なタイトルのブログである。その内容は、子供が保育園に入園できず、会社を辞めなければならない可能性があり、一億総活躍社会などと言っておきながら自分は活躍できない、というものが、やや乱暴な表現ながらも悲痛な思いで書かれていた。
 このブログはネット上で瞬く間に多くの共感を呼んで話題になり、テレビや新聞などのメディアでも取り上げられ、遂には国会の場でも取り上げられるまでに至った。その際に、安倍晋三首相は、ブログが匿名であることを理由に「内容が本当かどうか疑わしい」という答弁をし、自民党の他の議員は「死ね!という表現は女性らしくない」というコメントをしていたが、問題の本質はそこではないという批判を浴び、政府も参院選を前に真摯な対応を迫られることになった。
待機児童問題は、ここ十数年ほど社会問題として取り上げ続けられているが、一向に改善の兆しが見えていない。その要因としては、共働きの家庭が増えたこと、人口が都市部に集中しすぎて保育園が不足していることなどが挙げられるが、大きな要因としては、保育士の待遇が悪いことが挙げられる。保育士は決して簡単ではない国家資格だが、給与は一般の会社員に比べてかなり低く、その社会的地位は決して高いとは言えない。そのために保育士のなり手が少なく、保育園がなかなか増えないという状況になっている。
保育園の運営は公的な補助の割合が高いため、保育士の待遇改善のためには、国の支援が必要不可欠である。そのためには財源の捻出が必要になるが、高齢者に一律3万円をバラ撒くなどの政策をやめれば、不可能ではないはずである。若年者は高齢者に比べて選挙の投票率が低いため、政治家が子育て世代のほうを向いていない。インターネットなどで声を上げるだけでなく、選挙などでも意思表示をすれば、少しずつでも社会を変えていくことはできるはずである。(鈴木聡志)